船橋 不動産でも大丈夫?

a大企業の労組の多くは会社側べったりで、労組役員の椅子は出世の道具にさえなっている。
T課長が委員長のN証券労組にたいしては、会社側は委員長同席の団体交渉を拒否しなくなったものの、なにかにつけて拒絶反応を示しており、御用組合ではない。 労組機関紙「Nのなかま」(八七年一○月一日付)も、さきの部店長会議の経営方針を受け、「緊急を要する長時間労働の改善」「顧客本位に営業体質の転換を」というタイトルで、職場の従業員の声を特集。
T委員長も「新営業年度に望む」という一文で、つぎのように書いている。 〈最近、労組に投資家から苦情相談が持ち込まれるケースがあった。

財テク・ブームに便乗した利益本位の営業体質を今こそ転換しなければならない〉労組は、早くから手数料稼ぎの経営のあり方を正すよう主張してきた。 すでに七九年には、提案「投資家と社員を大切にし国民経済に役立つN証券をめざして」を発表。
そのなかでは、「投資家・国民経済に役立つ営業を」という章を設け、〈儲け本位(手数料中心)の経営姿勢を廃止し「投資家と共に栄える」といういわゆる「適正利潤経営」への転換をはかる〉よう求めている。 N証券が〈常識の服を脱ぎ捨て〉てしまったなかにあって、労組は〈投資者保護〉をうたう証券取引法とも共通する大胆な方針を掲げている。
それも、うなずけるところがある。 一つには、証券取引法第五地方へとばされた。
八条のいう〈不正取引行為〉の〈不正の手段、計画又は技巧〉による投資家泣かせとも共通したしうちを、会社側から受けつづけてきたからだ。 労組は六三年に結成されたが、その準備段階から、会社側はあらゆる〈不正の手段、計画又は技巧〉を駆使した不当労働行為をつづけてきた。
七五年に刊行した『N証券労働組合一○年のあゆみ」は、会社側の不当労働行為の記録といってもよい。 たとえば、配転の〈技巧〉は、投資家を泣かせておいてクレームから逃げる手段の一つだった。
労組にたいしては、結成からわずか半年のあいだだけで、この〈技巧〉は六回にもわたって実行された。 池田有三委員長(現全国証券労働組合協議会事務局長)をはじめ、執行委員や中心的な組合員全員が、一人残らずまた、「死んだ客」を生む残酷な〈技巧〉は、組合員にとっては解雇ということになるだろう。
会社は、労組結成から二年後の六五年に、組合の中心である委員長、書記長を解雇した。 労組は解雇撤回を求めて東京都労働委員会に提訴したが、解雇から一○年後の七四年には、池田委員長らの職場復帰を実現する和解協定を結び勝利している。
また、結成された労組が活発に活動しはじめると、会社側は従業員が労組に加入するのを阻むため、労組とは別に従業員組合を結成させ、組合を脱退して従組に加入するよう強要した。 そのため、窮地に追い込まれた女子組合員が自殺する事件も起こっている。
さきのTも、当時の上司だった課長から、「労組に入るとおまえの将来はだめになるぞ」といわれて、従組に加入した一人だった。 彼は仕事がきつくて、従組のなかでも積極的に発言した。

その結果は、北海道の釧路支店への配転だった。 釧路支店では、仕事は事務から営業に回され、一番、困難な顧客の新規開拓だった。
言外に「いやならやめろ」という配転だった。 開き直って、「絶対にやめない」と決意した。
三年目から業績でも支店のトップクラスのセールスマンになった。 客とのあいだもうまくいっていた。
従組のなかでも、立候補してその支店代表に選ばれ三年間、活動したが、会社側の差し金でリコールされてしまった。 支店長も業績のよい彼を手放したくなかったので釧路には六年半いたが、宇都宮からさらに金沢へと配転され、金沢支店に勤務していた八○年に、平均的な昇格から遅れて三七歳で課長に就任した。
だが、課長に昇格後一年で福岡支店に配転され、課長でも部下なしで、仕事をほされた。 労組からの手紙がとどいたのは、そんな八四年一月のことだった。
手紙は「次長・課長のみなさん、あけましておめでとうございます」というタイトルがついていた。 そして、〈「減量経営」「若手中心主義」のもとに〉〈いま、「数字〔ノルマ〕U人格」「中高年齢層の人くらしU善」が、あたかも未来永劫の経営原理でもあるかのような職場風土となっている〉などと記していた。
労組は、会社側に「S・イレブン」勤務の管理職の時間外手当の支給などを要求しているとも記してあった。 課長などの職制は、従組では組合員資格がなかった。
管理職は会社の思うままの人事にしたがわされ、身分も不安定だったが、訴えていくところはどこにもなかった。 手紙には、つぎのように書かれていた。
〈N証券の回転軸が、年齢的にも大きく軌道修正された今日、労働組合が管理職の皆さんの今後について、何かとお役にたつべく拙文をさしあげる次第です。 昨年の定期大会で、私たちは、次長・課長の皆さんが万一の時、労働組合に加入して身分の保全ができるよう、また、不要の時、自由に脱退できるよう組合規約の改正を決定しました〉課長や次長への、穏やかな組合加入の呼びかけだった。
この手紙にだれより驚いたのは、本人の意志を長はいう。 無視して子会社へ出向させるなど、管理職を使い捨てにしてきた会社側だった。

社内には、次長や課長などの中間管理職が約一四○○人いる。 だが、実際に部下を持つポストは若手が中心で、中高年の中間管理職は部下もポストもはずされ、一介のセールスマンにすぎなかった。
この手紙を知った支店長は、労組に加入するとすればTだろうとにらんで、中堅企業の開拓のため法人二課を新設するのでその特別ポストの課長はどうかど、労組加盟を思いとどまらせるため誘いをかけてきた。 それを断わると、部支店長クラスの椅子をにおわせた。
T課長は、それらをすべて断わり、「重役クラスの大型支店長ならよい」などと答えたが、すでに労組への加入を決意していた。 いま、T委員「兜町というのは、ゼニを出せばなんでも買えるところです。
そこで一五○○万円を超える年収で、なぜ労組委員長をやっているかというと、人生はカネで買えない、いい仕事をしたい、これです」。 彼は「労組は少数でも、組合員の要求を代表している」と胸をはる。
たとえば、N証券には、保険会社の婦人勧誘員と似たミディ(婦人証券貯蓄係)が全国に一七○○人いる。 三年契約で恵まれない労働条件にあり、従組では組合員資格もあたえられていない。
労組はミディの要求をまとめて、その実現を会社に求めた。 会社側が団交を拒否していたのもそのためだった。
従業員が一万人のN証券のなかで、組合員は二○人にも満たないが、数千部の「Nのなかま』が従業員に手渡されている。 従業員が「Nのなかま』を抵抗なく受け取るのは、彼らの気持ちがそこに表現されているからだろう。
N証券が収益日本一から世界一へと飛躍していくのを信じている一方で、彼らも不安を隠せないでいる。 いくら「赤信号、みんなで渡ればこわくない」とはいえ、さまざまな〈技巧〉で人間をえじきにするN商法が世界を制覇するようでは、この世は終わりになってしまう。

東証『証券統計年報」によると、東証などが戦後、開設された一九四九年当時は、全国の上場会社の株式総数のうち、個人(その他も含む)が大半の六九・一%の株式を持っていた。


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